今、これを読んでいるあなたが自己嫌悪になっているとしたら、その必要はこれっぽっちもありません。
断言します。
その前提で読み進めていきましょう^_^
根拠がないのに感じる不安や恐怖
今この記事を読んでいるあなたは、何かやりたいことがあったり、変わりたいと思っていますね。
そして、一歩踏み出すことができずに悩んでいますね。
行動しなくては。でもなかなか動けない。もどかしいですよね。
中には、何年も前からずっと悩んでいる人も多いはず。
大丈夫です。僕もそうでした。
新しいことを始めようとすると、必ず不安が襲ってきます。
行動することで、何か良くないことが起こるのではないかという、漠然とした不安が。
でもここで一度冷静になって。
具体的に何を恐れているのか、冷静になって考えてみましょう。
すると、具体的には何が不安なのか分からなくなってきます。
頭の中を整理する為に、紙でもスマホでも何でもいいので書き出してみましょう。
自分に正直になって…。
…さて。
あなたが書いた内容。
ズバリ、その最後に「かもしれない」を付け足すと面白いほどしっくりきませんか。
最初から付いていた方もいるかもしれません。
不安に具体的な根拠なんてないことがわかります。
ただ悪くなる「かもしれない」という「可能性」があるという話であって、良くなる可能性だってあるはずですよね。
少なくとも、行動しない方が状況は悪くなり、後悔するであろうことは頭では解っているはず。
それなのに何故、私たちはこんなにも不安と恐怖に心を支配されてしまうのでしょうか?
不安の正体は、危機回避の本能です
私たちが未知のことに足を踏み入れようとするときに感じる不安は、太古の昔から受け継がれてきた、危機回避の本能です。
どういうことか述べていきます。
野生の世界では、失敗=「死」を意味します。
あなたが原始人だったとしましょう。
目の前に見たことのない実がなっているとします。
あなたは実を食べたいのですが、その実には毒があるかもしれないし、はたまた美味しいかもしれません。
この状況で、毒があった場合に起こる結末は「死」です。
これではあまりに失敗がハイリスクすぎます。
「食べられる実を1つだけ発見する」のと、「死」とでは比べるまでもありませんね。
私たちの祖先はこのような厳しい野生の世界を生き抜いてきました。
その過程で、危機回避能力のない個体は命を落とし、その特徴は遺伝子プールの中から消えていきました。
子孫を脈々と残してきたのは、言うまでもなく危機回避能力の高い個体です。
そのため今の私たちには、未知のことに恐怖を感じるDNAが受け継がれているのです。
現代は、いくら失敗しても大丈夫です
幸運なことに、今私たちが生きている時代は、多少失敗してもいきなり「死」ではありません。
それでも私たちには野生のDNAが刻み込まれており、本能的に得体の知れない恐怖を感じるのです。
もちろん昔の時代はその想像力が命を救ってくれていましたし、今でも直感的な危機感が助けになることはたくさんあります。
でも残念ながら、本能は現代社会の一つ一つの状況に対して、精密に分析することはできません。
そのため、冷静に考えたら危険性がないことに対しても、本能的にフィルターをかけて見てしまうのです。
あなたが感じている得体の知れない不安が、本能から来る自然なものだと理解できれば、もう自己嫌悪は要りませんね。
大切なのは、不安や恐怖やそれを感じている自分を否定しないこと。だって、生き物として、生きていく上で当たり前のことなのだから。
冷静に、客観的に、スマートに向き合って、その原因を探ること。
そして、本能だけから来るものであると分かれば、あとは感情を消し、機械となって秒速で行動するだけです。
コツとしては、他人から今の自分と全く同じ状況を相談されたら、どう答えるかです。
この極めて客観的な答えと、自分の感じているものとを比較、差し引きすると、純粋な本能的恐怖の分の実像が見えてきます。
冷静に、客観的に。
さあ、あとはあなたが行動するだけ。
とはいえ、これを読んだ人の90%は行動しません。
行動を起こすのはあなたです。